今から700余年前、すなわち鎌倉時代に当時の執権最明寺入道時頼公がこの地方を旅したとき、美しい名久井岳を見てこの山奥まで登りました。帰途中腹のある寺に一晩の宿を頼みましたが断られ、やむなく山奥の別の庵寺に宿を求めました 庵寺の玉峰捐城和尚はあり合わせの品で心から暖かいもてなしをしました。時頼公は庵主の人柄に深く感激し、翌朝自分の持っていた扇子の表に「壱千石名久井通り右永代可令知行也」と書き寝室に置いて下山しました また、扇子の裏には時頼公は「水結ぶ名久井が岳を眺むれば海より出でて山に入る月」最明寺入道時頼花押と一首詠んでおります 時頼公が下山の途中庵主に出逢い、庵主は「朝食のご飯がないので托鉢をしての帰りです。どうぞいま一度寺に・・・」とねんごろに帰山をすすめたが、時頼公は好意を感謝し別れました。いまの「出合坂」地名の起こりです 翌年鎌倉の時頼公から使者が参り、世話になった庵寺に七堂伽藍経堂を立派に建て白華山法光寺としました 開基は北条時頼公、開山は当時の庵主捐城和尚、山号は門の下の蓮の池の白蓮華に由来して「白華山」です |
承陽塔(三重の塔) 師承陽大師の御霊骨と日本最古の仏舎利を祀る三重の塔(高さ33m)大きさでは日本一といわれうっ蒼とした、杉木立を背に古雅な風情を漂わせています |
春の山門 裏に遠州流庭園があり、特にツツジの時期が美しい |
鐘 楼
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